「重陽の節句(ちょうようのせっく)」って知っていますか?
重陽の節句は、古くからある日本の行事で、毎年9月9日におこなわれます。
菊(キク)の花を飾ったり、菊に関するならわしをしたりするので、別名「菊の節句」とも呼ばれますよ。
また、栗(クリ)を食べることもあるので、「栗の節句」と呼ばれることがあります。
地域によっては、9日(くにち)がなまって「くんち(おくんち)」と呼ぶところも。
重陽の節句は、以下の行事と同じ「五節句(ごせっく)」のひとつなんですよ。
- 「春の七草」で知られる「人日(じんじつ)」
- 「ひな祭り」「桃の節句」で知られる「上巳(じょうし)」
- 「鯉のぼり」で知られる「端午(たんご)」
- 「七夕(たなばた)」で知られる「七夕(しちせき)」
重陽の節句は、ほかの4つの節句に比べると、なじみがないかと思います。
そこで、このページでは重陽の節句の意味や由来、何をする日なのか、なぜなじみがないのか、重陽の節句で食べる物とおすすめ料理について紹介していきますね。
重陽の節句とは?五節句のひとつで不老長寿を願う日
まずは、重陽の節句とはどのような日なのかについて紹介していきますね。
重陽の節句は、五節句のひとつです。
五節句とは、江戸時代に徳川幕府が制定したもので、今でいう祝日のようものです。
▼五節句は、以下のようになりますよ。
節句は、もともと古代の中国にあった風習でした。
奈良時代ごろに遣唐使が日本へ伝え、宮中行事として取り入れらました。
昔の中国では奇数は縁起のいい数字とされていて、それが重なる日を節句として祝ったのが始まりです。
ちなみに、人日は本来1月1日ですが、元旦と重なるため、1月7日にずらされています。
節句は、二十四節気(にじゅうしせっき)という季節の考え方が基本となっていて、1年に多くの節句がありました。
そかし江戸時代に、江戸幕府が5つの節句のみを選んで、「五節句」として制定しました。
当時の日本には休日の概念がなかったので、身や心をリフレッシュするためといわれています。
なお、節句の時季は季節の変わり目にあたりました。
季節の変わり目は体調を崩しやすい時季ですよね。
そこで、邪気を払うといわれる節句時期の特有の植物を飾り付ける風習が生まれました。
昔は、体調不良は邪気が影響しているという考えがあったからです。
そのため、五節句はそれぞれ象徴する植物の名の別名が生まれました。
重陽の節句の場合は、菊が重陽の時期を象徴するので、「菊の節句」になりました。
栗を食べる風習もあるので、「栗の節句」と呼ぶこともありますよ。
ちなみに、現代で「長寿を祝う」のイベントは、敬老の日がなじみ深いですよね。
「重陽」は「縁起のよい9の数字が重なった日」という意味
重陽の節句の「重陽」ってあまり聞き慣れないですよね。
どんな意味があるのでしょうか。
「重陽」は「陽数(ようすう)が重なった日」という意味です。
陽数とは、奇数(きすう)のことですよ。
昔の中国では、奇数は縁起のいい数字とされていました。
その陽数の中でも、9はもっとも大きな数字です。
そのため9はもっとも縁起のいい数字としていましたよ。
9月9日は、一番縁起のいい9が2つ重なっているので、とてもめでたい日として「重陽」と名付けたんです。
なお日本では、9(く)と苦(く)が同じ読みなので、9は縁起が悪いという考えもあります。
菊は邪気払いや長寿、栗は邪気払いの力があるとされた
かつて重陽の節句の時期だった現在の10月中旬に、菊の花が咲いたり、栗を収穫していたりしたというのも理由ですが、それ意外にも理由があります。
まず菊の花ですが、古い時代の中国では、菊の花には健康や若さを保ち、不老長寿・若返りといった力があるといわれていました。
だから、一番大きな陽数である9と、菊の花の長寿の力にあやかって長生きしようとしたのです。
また、日本では古来より菊には邪気払いの力があるとされていました。
実際に菊の花には殺菌作用があって、昔の日本人はそれを知っていたのです。
今でも刺身に菊の花が添えられるのは、もともと菊の花の殺菌作用を利用したためです。
さらに、栗はイガに包まれています。
邪気は尖ったものを嫌うとされていたので、栗にも邪気払いの力があるといわれていました。
なお、節分のヒイラギイワシも、ヒイラギの葉のトゲによって邪気払いするためのものですよ。
農村部では収穫祭の意味合いもあった
重陽の節句は、不老長寿を願ったと紹介してきました。
しかし、日本の農村部ではそれ以外の意味も持つようになっています。
旧暦の9月9日(現在の10月中旬)は、稲刈りが終わり、一年の農作業が終了する時期にあたります。
そのため、重陽の節句は収穫祭の意味も持つようになりました。
神社でお祭りなどもおこなわれ、盛大な祭りをおこなう地域もありました。
現代では、重陽の節句はなじみが薄くなりましたが、地域によっては祭りの風習は残っていたりします。
明治初期の新暦導入で季節感がずれたので重陽の節句はなじみが薄くなった
ここからは、重陽の節句のなじみが薄くなった理由について紹介します。
重陽の節句のなじみが薄くなった最大の理由は、明治6年の新暦導入という説が有力です。
明治6年に、それまで使っていた旧暦(太陰暦)から現在使われている新暦(ユリウス暦)に変更されました。
新暦の9月9日は、旧暦では10月中旬になります。
そのため、季節感がずれたため、あまり重陽の節句がおこなわれなくなったといわれていますよ。
でも、新暦導入で時期がずれたのはほかの節句もいっしょなのに、おかしいですよね。
その理由は、ほかの節句で象徴とされている植物(春の七草、桃の花、菖蒲(ショウブ)、笹・竹)のうち、桃の花以外は季節がずれても手に入ったからです。
菊の花は新暦の9月時期ではまだ咲きませんし、栗は手に入りにくかったんですよ。
では、同じように桃の花が咲かない桃の節句はなじみがあるのに、重陽の節句はなじみがないのはなぜなんでしょう。
理由は、新暦9月が忙しい時期だということが挙げられます。
ちょうど稲刈りの時期だったり、その前準備の時期だったりして農繁期にあたるので、忙しくて節句の行事ができなくなったという説がありますよ。
いっぽう、旧暦の9月にあたる新暦の10月中旬は、稲刈りなどが終わった時期です。
そのため重陽の節句には、収穫祭の意味もあったのです。
ほかの理由として、「重陽」の名前が関係しているという説もあります。
盆や一部地域の七夕のように、旧暦に近い時期におこなう手もありますよね。
しかし、重陽は、縁起のいい奇数=陽数の一番大きな数である9が2つ重なっていることが、重陽の節句をやる理由です。
もし旧暦の季節に近い時期に重陽の節句をおこなったら、10月中旬になるので、奇数が重なる「重陽」ではなくなってしまいます。
そのため、五節句のなかで重陽の節句だけが、あまりおこなわなくなっていったといわれています。
重陽の節句の行事やならわし
現代では、重陽の節句のなじみが薄くなったため、今はあまりおこなわれていない行事やならわしも多いですが、まったくおこなわれていないわけではないので、参考にしてみてくださいね。
▼重陽の節句でおこなわれるおもな行事・ならわしには、以下のものがありますよ。
- 菊の花を飾る
- 菊酒(きくざけ)を飲む
- 菊湯(きくゆ)につかる
- 菊枕(きくまくら)で寝る
- 菊の着綿(きせわた)をする
いずれも菊の花に関わるものですね。
昔の人は、菊のもつ邪気払いの力や、健康で若さを保って長生きできる力にあやかろうとしていたのでしょう。
しかし、新暦になって重陽の節句の時期は菊の花の時期とずれたので、行事やならわしになじみがなくなりました。
現在では品種改良や栽培方法の進化などで、菊の花は9月でも手に入りやすくなりましたよ。
順にみていきましょう。
菊の花を飾る
重陽の節句になると、重陽の節句を象徴する植物である菊の花を飾ります。
飾る場所は、床の間や玄関先などが多いですよ。
邪気払いの力を持つといわれる菊の花を飾って、健康で長生きできるように願います。
節句の時期を象徴する邪気払いの植物を飾るのは、ほかの五節句と同じですね。
菊酒
重陽の節句になると、酒(おもに日本酒)に菊の花びらを浮かべて飲む「菊酒(きくざけ)」というならわしがありますよ。
平安時代の宮中行事として重陽の節句がおこなわれたとき、すでに菊酒が楽しまれていました。
菊の花の持つ邪気払いの力を体内に取り込むことによって、健康になるといわれていました。
菊湯
「菊湯(きくゆ)」は、湯船に菊の花を浮かべた風呂に入るならわしです。
菊の花から湯に邪気払いの力が伝わり、それが体内に取り込まれて体を丈夫にしようというものです。
端午の節句でおこなわれる「菖蒲湯(しょうぶゆ)」と同じようなものですね。
菊枕
「菊枕(きくまくら)」は、平安時代の貴族がおこなっていたならわしです。
枕の中に乾燥した菊の花を詰めて、その枕を使って寝ます。
寝ながら菊の香りをかぐことで、邪気払いをおこなっていました。
菊の着綿(菊綿)
「菊の着綿(きせわた)」は、平安時代に貴族のあいだでおこなわれたならわしですよ。
「菊綿(きくわた)」とも呼ばれます。
重陽の節句の前日の夜に、外の菊の花に綿を乗せておきます。
すると、朝露が綿に染みこみますが、このときに菊の花のエキスも染みこみますね。
そして、朝露と菊の花のエキスが染みこんだ綿で体をふくと、健康になったり、体が若々しくなったり、長生きしたりするといわれていました。
くんち祭り(おくんち祭り)
旧暦の重陽の節句の時期は、農村部では米の収穫が終わる時期になるので、重陽の節句は収穫祭の意味も持つようになりました。
やがて、「くんち祭り」「おくんち祭り」と呼ばれ、神社でお祭りがおこなわれるようになります。
地域によっては、神輿(みこし)や山車(だし)が出て、とても盛大におこなわれていました。
なお、地域によっては新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)の時期にくんち祭りをおこないます。
くんち祭りは新暦になってすたれた地域が多いのですが、いまでもおこなわれている地域も。
なかでも九州地方に多く残っていて、盛大におこなわれる地域も多いです。
▼現在でも残る有名なくんち祭りには、おもに以下のものがあります。
- 長崎くんち(長崎県長崎市)
- 博多おくんち(福岡県福岡市)
- 唐津くんち(佐賀県唐津市)
長崎くんちは、旧暦の重陽の節句に近い時期におこなわれますが、博多おくんちと唐津くんちは現在11月に開催されていますよ。
重陽の節句に食べる物とおすすめの料理や食べ物
食用菊を使った料理(お浸し・お吸い物など)
重陽の節句を象徴する植物である菊の花は、食べることもできる食用菊というものがあります。
そこで、重陽の節句に菊の花を食べてみてはいかがでしょうか。
▼実は、菊の花はスーパーの青果売場などでパック売りされていることもあります。
いまではハウス栽培や品種改良などで、年中菊の花が手に入りますよ。
ちなみに、菊花の栽培は愛知県や山形県が盛んです。
▼さらに、刺身の中に菊の花が添えられているのを見たことがありませんか?
刺身に入っている菊の花は、菊の殺菌作用で刺身が悪くなるのを少しでも防ごうとした昔の人の知恵なのです。
その名残が今も残っています。
食用菊をメインに使った料理は少なく、菊の花をゆでたものを使ったお浸しや酢の物・お吸い物などがあります。
あとは、ゆでた菊の花はいろんな料理の具材にできますよ。
菊の花を具材に使ったパスタやうどんなどもおすすめです。
ほかに、刺身に添えられた菊の花をちぎって刺身の上や醤油に浮かべるのもいいと思います。
栗を使った料理(栗ごはんなど)
重陽の節句の時期は、栗が収穫される時期とも重なるので、古くから重陽の節句に栗が食べられていました。
栗の邪気払いの力にあやかって健康を願うためですよ。
栗を使った料理で、重陽の節句におすすめなのが、栗ごはんです。
ホクホクの栗と、熱々のごはんは相性抜群ですね。
ナスを使った料理(揚げ浸し・焼きナスなど)
地域によっては重陽の節句にナスを食べる風習があるところがありますよ。
なぜナスを食べるのかははっきりしませんが、秋ナスは昔からおいしいといいますよね。
▼ナスを使った料理はたくさんありますが、ダシのきいた揚げ浸しがおすすめです。
また、シンプルに焼きナスにしてみるのもいいですね。
カモミールティー
ハーブティーの一種であるカモミールティー。
カモミールティーに使われているカモミールは、実は菊の仲間なんですよ。
現代風の重陽の節句のならわしとして、カモミールティーを飲んでみてはいかがでしょうか。
菊の花の形の菓子(練り切り・干菓子など)
一部の和菓子店では、重陽の節句が近づくと、菊の花の形をしたお菓子を売り出すことがありますよ。
菊の花をしたお菓子はいろいろありますが、おもに以下のようなものがあります。
- 練り切り
- 干菓子
- 最中
- 饅頭(まんじゅう)
- 飴
菊の花は使われていませんが、菊の花を模したお菓子は、どれも美しく繊細です。
和菓子職人の腕を楽しんでみるのもいいかもしれませんね。
さいごに
明治初期の新暦移行によって、季節がずれて次第に私たちの生活から離れていった重陽の節句。
しかし、昔では入手困難だった菊や栗も、現代では促成栽培や輸送手段の発達、海外からの輸入などで、年中手に入るようになりました。
農作業も、機械化・効率化によって昔よりは手間が短縮されています。
そこで、あえてなじみがなくなった重陽の節句にふたたび注目してみてはいかがでしょうか。
菊を食べるなんて、刺身の添え物くらいで、ふだんはめったにありませんよね。
また、菊は日本を象徴する植物でもあります。
一年に一度くらい菊を食べてみると、菊を身近に感じるかもしれませんよ。
本来、重陽は縁起のいい数字が重なった、ものすごくめでたい日です。
あらためて重陽の日を祝ってみたら楽しいのではないでしょうか。