「秋分(しゅうぶん)」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。
でも秋分が具体的にどんなものなのかは、わかりにくいですよね。
また国民の祝日に「秋分の日」がありますが、秋分とどのような関係があるのかも気になります。
そもそも、秋分や秋分の日がいつなのかも思い出せなかったりしますよね。
そこでこの記事では秋分・秋分の日がいつなのかや秋分と秋分の日の関係、秋分の意味や秋分に関わる食べ物・ならわしなどについて紹介します。
秋分・秋分の日はいつ? 年によって日が変わる
まず秋分と国民の休日「秋分の日」ですが、同じものなんです。
秋分にあたる日を、「秋分の日」という休日として制定されました。
2021年(令和3年)の秋分は、9月23日 木曜日です。
そのため、国民の祝日「秋分の日」も9月23日になっています。
秋分は年によっては日にちが変わり、9月22・23・24日のいずれかです。
それにあわせて、国民の祝日である秋分の日も変わります。
また昔は、秋分は期間としての意味がありました。
秋分の期間は、次の節気である「寒露(かんろ)」の前日まで。
現在は期間の最初の1日のみを指して秋分とすることが多いです。
しかし、現在でもときどき期間として使われます。
ちなみに2021年の秋分の期間は、9月23日〜10月7日までです。
▼以下に、今年と以後5年間の秋分がいつなのかを紹介します。
参考にしてくださいね。
秋分は二十四節気のひとつ
秋分は「二十四節気」という季節を表すための暦の、24ある節気のひとつです。
実は、日本人は古い時代から二十四節気を重視してきました。
昔の日本は、稲作をはじめとする農業が生活の中心です。
二十四節気は農作業をする目安としてとても役に立ちました。
だから、二十四節気は日本で長く使われてきたのです。
「立春」「立秋」「夏至」「冬至」などの言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。
立春・立秋・夏至・冬至も秋分と同じ二十四節気の節気のひとつなのです。
また秋分といえば、春にある「春分」も忘れてはいけません。
この春分も、秋分と同じく二十四節気です。
なお春分は、二十四節気では秋の季節に区分されます。
秋の節気のは6つあり、秋分は秋の4番目の節気です。
さらに、立春から数えて16番目の節気にあたります。
ちなみに秋分は、前の節気である「白露」から15日目ごろです。
また秋分をはじめ、二十四節気の各節気は、年によって日にちがズレることがあります。
▼なぜ二十四節気がズレるのかについては、二十四節気の記事を見てください。
秋分の日は昼と夜の長さがほぼ同じ
秋分が二十四節気のひとつということがわかりましたが、なぜ秋分という名前なのかが気になりますね。
ここからは、秋分の意味や由来について紹介していきます。
秋分とは、地上から見た太陽の角度が「秋分点」というポイントに来たときのことです。
そして秋分点を太陽が通る日を、秋分の日としています。
秋分点を太陽が通る日、太陽は真東から昇って、真西に沈むのです。
そのため、秋分は昼と夜の長さが同じになります。
秋分より前は、昼が長く、夜が短いです。
しかし秋分よりあとになると、昼が短く、夜が長くなります。
つまり、秋分の日を境に日の出の時間がだんだんと遅くなっていき、日の入りの時間がだんだん短くなっていくのです。
そのため秋分とは「秋にある、昼と夜の長さが変わる分かれ目の日」「秋にある、日の出・日の入りの時間が変わる分かれ目の日」という意味になります。
なお春分は、秋分の逆パターンの分かれ目です。
秋分のならわし
日本では季節や行事ごとに、昔から続くならわしや特有の食べ物がありますよね。
秋分にはどんなならわしや食べ物があるのでしょうか。
ここからは、秋分のならわしや食べ物などについて紹介していきます。
秋の彼岸

彼岸(ひがん)は春と秋にありますが、秋の彼岸と秋分は強い関連があります。
秋の彼岸は、秋分を中心に、秋分の前3日・後3日の期間なのです。
そのため秋分の日は、秋の「彼岸の中日(ちゅうにち)」と呼びます。
ちなみに彼岸の初日は「彼岸の入り」、最後の日は「彼岸の明け」です。
彼岸は仏教行事の「彼岸会(ひがんえ)」に由来した行事といわれています。
古くは平安時代前期よりおこなわれている行事です。
庶民のあいだに広く定着したのは、江戸時代といわれています。
彼岸といえば、墓参りをする日ですよね。
秋分になると、太陽が真東から昇り、真上を通過して真西に沈みます。
昔の人はこの現象を、あの世とこの世がもっとも近くなる日と考えました。
そのため、あの世にいる先祖を身近に感じられるという考えから、彼岸には墓参りをし、先祖を供養するというならわしが生まれたのです。
ちなみに信仰している宗教・宗派や、住んでいる地域などによって彼岸のならわしには違いがあります。
▼彼岸についての詳細は、彼岸の記事を参考にしてください。
彼岸花(曼珠沙華)が咲く
秋分のならわしではありませんが、秋分の時期になると彼岸花(ヒガンバナ)が咲きますよね。
彼岸花は曼珠沙華(マンジュシャゲ)とも呼ばれます。
田畑の畦(あぜ)や山林など、一面に真っ赤な花が広がり、幻想的な光景が広がります。
いっぽう、彼岸花は毒花・死人花・地獄花と呼ばれ、不吉な花と呼ばれていました。
今でも彼岸花を見ると気味が悪い印象を持つという話もあります。
彼岸花があまりにも真っ赤なので、血をイメージするため悪い印象を持つという説もあるほどです。
また彼岸花の球根には毒性があるので、昔の人は誤って食べないようにネガティブな名前を付けて注意をうながしたのかもしれません。
田畑の畦によく生えているのは、彼岸花の球根に毒性があるので、昔の人がモグラなどの害獣防止のために植えていたからでもあります。
中秋の名月

秋分と直接の関係はありませんが、秋分の期間中にあるならわしでは「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」が有名です。
「十五夜(じゅうごや」という呼び名もありますね。
中秋は旧暦の8月15日を指します。
新暦では9月中旬から10月上旬ごろです。
中秋のときには、月が満月、または満月に近い状態でとてもキレイに見えます。
そのため古くから中秋に月見をするならわしが生まれました。
▼中秋の名月については、中秋の名月の記事を読んでくださいね。
秋分の食べ物
おはぎ

秋分の時期におこなわれる秋の彼岸ですが、彼岸といえば「おはぎ(御萩)」をイメージしませんか。
墓や仏壇におはぎをお供え、家族でおはぎを食べたりします。
おはぎには餡(あん)が使われいますよね。
餡の原料といえば小豆(アズキ)です。
小豆は古くから邪気払いの力があるとされてきました。
秋分は季節の変わり目なので、体調を崩しやすいです。
邪気払いの力がある小豆を食べて、体を上部にするためといわれています。
また、昔の日本では砂糖が貴重でした。
餡は砂糖を大量に使用しますよね。
貴重な砂糖を使ったおはぎを先祖に供えることで、先祖へ感謝の意を示しているのです。
ほかにも、おはぎは小豆の赤色と餅の白色の2色をしていますよね。
そこから「先祖と自分たちが会う」という意味があるともいわれています。
なお、おはぎの形状は地域によって違いがあります。
おはぎの名前は季節で変わる?
おはぎには「ぼたもち(牡丹餅)」という呼び方もありますよね。
実は季節によって呼び名が変わるのです。
春は牡丹(ボタン)の花にちなんで「ぼたもち」、秋は秋の七草のひとつでもある萩(ハギ)の花にちなんで「おはぎ」と呼びます。
だから同じものでも、春の彼岸のときは「ぼたもち」、秋の彼岸のときは「おはぎ」という名前なのです。
ちなみに夏や冬にも呼び名があります。
夏は「よふね(夜船)」、冬は「きたまど(北窓)」です。
呼び方については諸説あり、また地域によっても呼び名の違いがあります。
また単純に呼び名が複数あるだけかもしれません。
ラーメン・しなそば・中華そば、おにぎり・おむすびと同じようなパターンという説もあります。
さいごに
秋分といえば彼岸です。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、秋分の前後になると暑さがやわらぐことが多いですよね。
二十四節気では秋になっても、暑い日は続きます。
秋分を目安にして、がんばって暑い日々を過ごしていきましょう。
そして、暑さがやわらぐと急に涼しくなることもあって体調を崩しやすくなります。
秋分は体調管理にも気をつけて過ごしましょう。
オマケ:ほかの二十四節気の記事
記念日のしおりでは、ほかにも二十四節気に関する記事を紹介しています。

