端午の節句(たんごのせっく)は、日本に昔からある行事で男の子の成長を願う日です。
鯉のぼりや五月人形、柏餅、ちまきなどのいろいろな楽しいことやおいしいものがあります。
そんな端午の節句ですが、あまり深く知る機会はないのでは?
- 「なぜ5月5日なの?」
- 「なぜ男の子だけ?」
- 「こどもの日とはどう違うのか?」
もしかしたら、こんなことをこどもに聞かれて困るかもしません。
そこでこのページでは、端午の節句の時期や由来・意味・ならわし・こどもの日との違いについて詳しく紹介しますね。
端午の節句とは? 5月5日に男の子の成長を願う行事
端午の節句(たんごのせっく)は、日本を代表する年中行事のひとつです。
別名を「菖蒲(ショウブ)の節句」や「重五(ちょうご)」などとも呼びますよ。
また、端午は「端五」と書かれることもあります。
端午の節句は、毎年5月5日におこなわれ、男の子が健康に成長するように願う日です。
もともとは旧暦の5月5日におこなわれていましたが、新暦となった現在では、新暦の5月5日におこなわれています。
ただし、一部の地域では現在でも、旧暦の5月5日にあたる6月前半におこなっています。
ほかにも、1ヶ月おくれの6月5日におこなう地域もあります。
これは、旧暦を新暦に換算すると毎年日が変わってわかりにくいので、月のみ旧暦換算して、日にちは5日に固定させたものです。
端午の節句の意味は「月の最初にある午の日」
ここからは、端午の節句の意味について紹介しますね。
端午の節句の指す日は語呂合わせで変化した
端午の節句の「端午」とは、「最初の午(うま)の日」という意味です。
むかしの日本では、毎日一日ごとに干支が当てられていて、端午は各月の最初にある午の日を意味しています。
その後、午(ご)と同じ発音である五との語呂合わせで、端午は毎月5日を指すようになります。
やがて月も午との語呂合わせで五を指すようになって、端午は5月5日を意味するようになりました。
また、かつて奇数が並ぶ日は縁起がよいとする考えがあったことも影響しているといわれています。
端午の節句は「五節句」のひとつ
端午の節句は「五節句(ごせっく)」のひとつです。
五節句は年に5回あって、江戸時代に制定されました。
▼五節句をまとめると、以下の通りです。
節句は、もともと古代の中国にあった風習です。
奈良時代ごろ遣唐使によって日本へ伝来し、宮中行事として取り入れられました。
なお、人日は本来1月1日ですが、元旦と重なるため、1月7日にずらされています。
本来の節句は、二十四節気(にじゅうしせっき)という季節の考え方が元になっていて、1年に多くの節句がありました。
江戸時代に、江戸幕府が5つの節句のみに定めます。これが五節句です。
五節句は式日(しきじつ)という、現代の祝日にあたる日でした。
当時の日本には休日の概念がなかったので、忙しい日常を離れてリフレッシュすることを目的に定められたのです。
もともと節句の時季は、季節の変わり目にあたりました。
季節の変わり目は体調を崩しやすい時季です。
昔は体調不良は邪気が影響しているという考えがあり、邪気を払うといわれるその季節特有の植物を飾り付ける風習が生まれました。
そのため、五節句はそれぞれ象徴する植物の名を別名としています。
旧暦で端午の節句の時季は、現在の6月前半にあたり、菖蒲の花が咲く時期と重なります。
そのため、端午の節句の別名を「菖蒲の節句」とも呼ぶのです。
端午の節句の由来や歴史について
ここからは、端午の節句の由来について紹介しますね。
端午の節句の起源は中国
端午の節句の起源は、古代の中国にあります。
古代中国の端午の節句は、屈原(くつげん)という人物を供養する行事でした。
屈原は、中国の戦国時代、紀元前343年ごろから起源前278年ごろに活躍した楚(そ)の国の詩人で政治家です。
楚のために尽力した屈原でしたが失脚し、楚が秦の国に滅ぼされることを悲観し、川に身を投げました。
その日が5月5日だったといわれています。
なお屈原の供養の行事は、いつから始まったかのは定かではありません。
奈良時代に日本に伝わり、季節の変わり目に邪気払いをする行事になった
奈良時代に、遣唐使によって端午の節句が日本に伝来しました。
日本に伝わると、宮中行事として皇族や公家(くげ)など、おもに上流階級のあいだで端午の節句が定着します。
行事の内容も日本流に変化し、無病息災を願って邪気払いをするものになりました。
当時のならわしは、おもに以下のようなもの。
- 薬草を摘む
- 菖蒲を飾る
- 菖蒲湯に入る
- 菖蒲をひたした酒を飲む
- こどもは菖蒲の葉でつくった兜をかぶる
- 吹き流しをたてる
菖蒲は、葉の香りが強く、邪気を払う力があると信じられていました。
吹き流しは五色の色を使っています。
五色は神道や仏教で「万物」を意味するものとして大切に扱われていました。
なお、神道と仏教で五色の色は異なりますよ。
江戸時代に武家のあいだで男の子の成長を願う行事になった
鎌倉時代になると武士の世の中となりました。
すると、端午の節句は武家のあいだで重視されるようになったのです。
菖蒲と尚武(しょうぶ)の語呂合わせが理由ですね。
尚武とは、「武道や軍事を大切なものと考えること」という意味です。
将来、武士のこどもが活躍して出世するよう願う行事に変わりました。
江戸時代になると、江戸幕府によって端午の節句が五節句のひとつになります。
やがて、大名や旗本(はたもと)などの武家のあいだで、端午の節句が男の子の成長を願う行事になります。
いっぽうで上巳の節句(桃の節句、ひな祭り)が、武家のあいだで女の子の成長を願う行事になりました。
武家では、家に鎧・兜や武者の人形を飾り、玄関や庭に幟(のぼり)や馬印(うまじるし)・吹き流しなどを立てて祝いました。
その後、端午の節句に男の子の成長を願う風習は、庶民にも広がっていきます。
庶民のあいだでは、幟・馬印の代わりに鯉のぼりを立てたり、鎧や兜・武者人形の代わりに、紙でつくった飾りや武士の絵などを飾ったりしました。
この頃の風習が、現在も端午の節句のならわしとして続いています。
端午の節句とこどもの日の違い
端午の節句の5月5日は、「こどもの日」でもありますよね。
端午の節句とこどもの日は、「どう違うのか?」「同じなのか?」ということも気になります。
端午の節句は、昔からある風習なのに対し、こどもの日は国が法律で定めた祝日です。
こどもの日は、1948年(昭和23年)に国が「国民の祝日に関する法律」で制定しました。
じつは、こどもの日の候補日には、3つの候補があったのです。
- 女の子を祝う風習の3月3日
- 男の子を祝う5月5日
- 3月3日と5月5日の中間で新学期が始まる4月1日
最終的に気候の良さと、国民からの希望の声の多さから、5月5日がこどもの日になりました。
こどもの日の趣旨は、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」というものです。
また、5月5日から11日まで「児童福祉週間」にもなっていますよ。
こどもの日と端午の節句の違いをまとめると、以下の通りです。
端午の節句 | こどもの日 | |
---|---|---|
いつから? | 昔からの風習 | 国が定めた祝日 |
対象は? | 男の子が対象 | 男女関係なくすべてのこどもが対象 |
その他 | – | 母への感謝がある |
なお、こどもの日はこどもだけでなく、母への感謝という目的もありますが、意外ではないでしょうか。
こどもの日には、母への感謝の意味もあることがあまり知られていないのは、近い時季に「母の日」があるのも原因といわれていますよ。
端午の節句の代表的なならわし・風習
端午の節句には古くから続く、いろいろなならわしがあります。
そこで、ここからは端午の節句のならわしを紹介していきますね。
端午の節句でおこなわれる、代表的なならわしには、以下のようなものがあります。
- 鯉のぼりを立てる
- 五月人形を飾る
- 張子のトラを飾る
- 紙で兜の飾りをつくる
- 菖蒲を飾る・菖蒲湯に入る・菖蒲酒を飲む
- 柏餅を食べる
- ちまきを食べる
- 晴れの日の料理を食べる
順に詳しく見ていきますね。
鯉のぼりを立てる
端午の節句といえば、鯉のぼりのイメージが強いですよね。
鯉のぼりは、江戸時代中ごろに江戸の庶民のあいだで生まれたものです。
中国に古くから伝わる「鯉が滝を登って竜になる」という「登龍門(とうりゅうもん)」伝説になぞらえて、鯉の形の幟を立てるようになりました。
鯉が竜になるように、我が子も健やかに成長して将来出世するように願ったのです。
当時、鯉は一匹のみで、和紙製でした。
その後、しだいに素材や形が変わっていき、現在のような形式になったのは、昭和時代の戦後から。
現在の鯉のぼりは、合成繊維製で、真鯉・緋鯉にくわえ、子鯉や吹き流しも付いています。
また、現在はマンションやアパート暮らしや、庭がなかったり小さかったりする家が増えました。
そのため、ベランダや玄関先に飾ることを前提とした、ミニサイズの鯉のぼりも人気です。
五月人形を飾る
五月人形は、鯉のぼりとともに端午の節句に飾るものの代表格です。
武者人形(むしゃにんぎょう)とも呼ばれます。
五月人形は、兜や鎧・刀・弓矢などの武具を飾るものです。
また、武具を身につけた人形を飾るものもあります。
▼ひな人形のように、3段飾りや5段飾りなどもありますよ。
▼兜飾りという兜の部分だけの五月人形も人気があります。
▼飾るところがない場合に便利な、掛け軸飾りもありますよ。
五月人形はの起源は、鎌倉時代から武家でおこなわれていた端午の節句の風習です。
武家では、端午の節句の日に兜や鎧を飾っていました。
武士にとって兜や鎧などの武具は、自分の身を護る道具であると同時に、家を象徴する大切なものとして扱われていたためです。
張子のトラを飾る
端午の節句に、張子(はりこ)でできたトラの置物を飾るならわしもあります。
現在では、おもに西日本で飾ることが多いですよ。
竹や木などで組んで枠をつくって、そのまわりに紙を貼り付けてつくられた置物です。
トラの首の部分が、振り子のように動きますよ。
張子のトラは、五月人形のかたわらに飾られることが一般的です。
トラは日本にいませんでしたが、中国から邪気を払う神聖な動物として伝えられました。
そのため、邪気払いの意味と、こどもがトラのようにたくましく育つよう願いを込めて、トラを飾るようになったのです。
菖蒲を飾る・菖蒲湯に入る・菖蒲酒を飲む
端午の節句は、別名「菖蒲の節句」と呼ばれるように、菖蒲が端午の節句を象徴する植物です。
旧暦の5月5日は、新暦の6月前半にあたります。
この時期は、ちょうど菖蒲の花が咲く時季です。
さらに、6月前半は梅雨入りが近い時季。
季節の変わり目にあたります。
季節の変わり目は、体調を崩しやすいですよね。
昔の日本では、体調不良は邪気の影響と考えられていたので、季節の変わり目である節句のときには邪気払いをしていました。
端午の節句の時季に咲く菖蒲は、葉が強い香りを持っていることから、邪気払いの力があると信じられていました。
そのため、端午の節句のときに邪気払いのために、菖蒲を玄関などに飾るようになったんですよ。
さらに菖蒲の葉を湯船に浮かべた菖蒲湯に入ったり、大人は菖蒲の葉を入れた酒である菖蒲酒を飲んだりしました。
菖蒲に関する風習は、奈良時代に端午の節句が日本に伝わったころに、宮中行事として始まったものといわれています。
それが現在でも続いています。
▼現在でも、端午の節句が近くなると、花屋やホームセンター、スーパーマーケットなどで菖蒲の葉(葉菖蒲)が販売されるようになります。
なお、菖蒲湯の入り方などは、地域によって異なっている場合があります。
菖蒲と花菖蒲について
端午の節句を象徴する植物は菖蒲だと紹介しました。
じつは、菖蒲と混同しやすい植物として「花菖蒲(ハナショウブ)」という植物があります。
菖蒲と聞いたら、紫色の花を思い浮かべませんか?
じつは、これは花菖蒲なんです。
以下に菖蒲と花菖蒲の違いをまとめました。
菖蒲 | 花菖蒲 | |
---|---|---|
分類 | ショウブ科または サトイモ科 | アヤメ科 |
花 | 白っぽい穂のような花 | 鮮やかな赤紫色の花びら |
もともと端午の節句で使われていたのは、菖蒲のほうです。
しかし、菖蒲の花は地味なので、飾ったりするときは鮮やかな花菖蒲に置き換わったといわれていますよ。
いっぽう、菖蒲湯や菖蒲酒には今も菖蒲の葉が使われます。
邪気払いの意味で菖蒲を飾りたい場合は、花菖蒲よりも菖蒲を飾るのがおすすめです。
紙で兜の飾りをつくる
端午の節句には、こどもたちが紙を折って兜をつくり、被ったりしますよね。
武家の社会になり、武家が端午の節句を重視するようになると、武家のこどもは菖蒲の葉で兜をつくって飾っていました。
これが紙でつくるように形を変えて、現在まで残ったといわれていますよ。
柏餅を食べる
鯉のぼりや五月人形と並んで、端午の節句を象徴する食べ物が柏餅(かしわもち)です。
端午の節句が近くなると、スーパーマーケットや和菓子店などでたくさん販売される光景は、おなじみですね。
柏餅は、上新粉(じょうしんこ)でつくられた餅を柏の葉でくるんだお菓子です。
餅の中にはこし餡や粒餡が入っていることが多いですが、餡が入っていなかったり、餡以外のものが入ってたりすることもあります。
柏餅は江戸時代に江戸で生まれて、武家が好んで食べていました。
柏は、葉が枯れても新芽が出てから落ちます。
そこから「子孫繁栄」「家系が絶えない」という意味で、武家が縁起をかついで好んだのです。
やがて庶民にも広がって、端午の節句の名物となったんですよ。
なお、柏餅は江戸をはじめとする東日本で最初に広まりました。
西日本に広がるのは、かなり遅くなってからです。
▼また西日本は柏の葉が貴重なため、サルトリイバラの葉で代用することも多いですよ。
ちまきを食べる
ちまき(粽)も、柏餅と並んで、端午の節句を代表する食べ物ですね。
じつは端午の節句のならわしのなかでも、もっとも古いものです。
ちまきは、端午の節句といっしょに奈良時代に日本に伝わりました。
古代中国の端午の節句は、屈原という人物の供養の行事でした。
屈原を供養するために、竹筒に米を入れて川に投げていたのですが、日本に伝わってから日本流にアレンジされます。
日本でアレンジされたものは、茅(ちがや、ち、かや)の葉で餅を包んたものでした。
ちまきとは、「茅巻き」が語源ですよ。
茅は、神社で「茅の輪」などで使われるように、古くから邪気払いの力があるといわれた植物です。
そのため、茅の葉を使っていました。
やがて、茅の葉よりも入手しやすい笹で包むように変わっていきます。
柏餅は江戸で生まれて、西日本に伝わってきたのが遅かったため、柏餅が広まるまで西日本では古くからあるちまきの方が身近でした。
晴れの日の料理を食べる
日本では、冠婚葬祭や祝いの日などを「晴れの日」と呼んで、特別な料理を食べる風習があります。
晴れの日の料理の代表的なものには、以下のものがありますよ。
- ちらし寿司
- 赤飯
- 鯛料理
ほかにも、地域特有の料理もあります。
さいごに
端午の節句は、ひな祭り(桃の節句)と同じく、古い時代からある伝統行事です。
それが現代まで残っているのは、こどもはいつの時代も宝物だからではないでしょうか。
むかしから続く男の子の成長を願う行事ですので、意味を深くかみしめながら端午の節句を過ごしてみるのもおすすめですよ。